明日は桜桃忌

newmoonakiko2007-06-18

太宰治が、愛人山崎富栄と心中を図ったのは、昭和23年6月13日。遺体は、6日後の19日に発見された。私が記憶している限りでは、発見された日は雨だった。この年には、私は生まれていないので、本で読んだのか、映画でみたのか。
13日の毎日新聞、太宰の妻の言葉が目に入った。「夫はつねづね妻に恥をかかせるようなことはしないと申しておりました」と。それから数日後、女と一緒の夫の遺体を眺めて、いかように感じたか。間違いなく、太宰は妻に対して不誠実な男である。しかしだ、妻は目の前の現実よりも夫の言葉を拠り所に毅然と対処する。夫と妻、狐と狸の化かし合いのようで、なかなかである。若い時は、夫婦というのは欺瞞だなぁと思ったものだ。今でもそう思うが、虚虚実実こそ愛の真相なのかとも思う。
ところで、中年ど真ん中の男友達が、ぬけぬけとこう言った。「好きな女性ができると、なぜか妻が愛しくなる」と。男はみんな分裂病!?
まったく、御しがたき男どもよ。


写真は、蒲鉾でできている「紫陽花」と「ソラマメ」。だれも、蒲鉾と思わない。