死んだ木

newmoonakiko2007-07-05

小出郷文化会館から、車で30分。山古志村に入る。あの震災から、3年近くがたつ。地震発生の後、私の友人がふたり、ボランティアで救援にかけつけた。その時は、道路が遮断されて山古志に入れなかったという。ふたりとも、神戸震災の時にもボランティアをしたが、同じ被災でも、都会と田舎では受け止め方が違うと同じ感想を言っていた。その差は、コミ二ティの深さの違いなのか。自然の脅威をも知っている地べたに生きる人とそうでない人の差なのであろうか。
小田原で「掘るまいか」という山古志村の映画の上演会に参加していただいた小川さんのお宅にお邪魔した。どんな揺れで、どんなふうに助かったか、まさに現場での話に地震がいつきてもおかしくない小田原住人としては、身を乗り出して話を聞いた。
まず、国道が修復され、村の道が整備された。川の橋がかけられ、損壊した住宅の代替地の整備が行われている。山の下に位置する田んぼは、田植えが行われているが、底が割れた田んぼは放置されている。川に埋もれた家もそのままだが、死んだ木がまだ倒れずにいるのが、たまらなく哀れでならない。
それにつけても、山古志は美しい棚田の村であったのだろう。
ここ数日、満々の水を湛える山の姿を眺め、この国も捨てたものではないとは思った。生きている木、死んだ木。人間の力ではどうにもできない自然の厳しさ。それゆえ、その表情のやさしさが身にしみてならない。

いづれ、撤去されるであろう川に埋没した家屋。28世帯が、今10世帯に。