浅草の佃煮

newmoonakiko2007-09-24

小田原から高尾、高尾から浅草。一日かけてのお墓参り。八王子霊園の夫のお墓は、奥多摩の森に囲まれた霊園墓地にある。「千の風になって」を口ずさみながら、坂道を下りてくる人もいる。お墓の前で、お弁当を広げる家族も多い。ここちよい風が吹いている。
最後の晩酌はいつだったろう?暑さも峠を越えた頃の朝、夫の有無を言わせない酒の所望に私は少々驚いた。日本酒を小さなコップについだ。肴はなんだったか。覚えていない。一口飲んで、ゆっくり「おいしいね」と言い、それで終わった。以来、1滴の酒も口にせずに翌年の春に亡くなった。私の最大の楽しみは、デパートの酒売り場や、旅先の酒屋で、4合瓶の日本酒を選ぶことだった。今は、もうそんなことはしない。私は、本質的に酒が好きではないのかもしれない。どの銘柄がどうのというのも忘れてしまった。しかし、お墓参りには、必ず日本酒を持参し、なみなみと墓にかける。あたりに酒の香りが漂う。のんべいの墓だということがわかる。酒の風が吹いていく。
浅草は、実家の墓だ。こちらは、本所吾妻橋曹洞宗のお寺は、街の中にある。母と一緒に父が眠るこのお墓をお参りした思い出が走馬灯のようによみがえる。今では、都営浅草線がこの寺の近くまで通っているのだが、40年前は、銀座線の浅草駅から、吾妻橋を渡り、ゆったりと歩いた。帰りは、必ず浅草寺に参り、天丼か釜飯を食べ、舟和の芋ようかんと餡子玉をみあげにする。浅草で何か買うというのは、当時の贅沢だったのが、今では不思議なことだ。しかし、今日は、吾妻橋付近の佃煮やさんで、佃煮3種を買う。アミもアサリも東京湾ではとれないが、浅草の佃煮の技術は脈々と続いているのだろう。よくぞ、潰れないで・・と思う。子どもの頃は、佃煮やさんなんて、目の端にも入らなかったが、今では、佃煮の暖簾に吸い寄せられてしまう。秋の夜長、佃煮を肴にしみじみとお酒でも飲もうか。