流れ行く日本、とめるおかっさんはいるか?

newmoonakiko2008-01-09

橋本治著『日本の行く道』を読む。「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」というコピーと浮世絵風イラストの東京大学駒場祭のポスターは忘れがたいが、橋本氏は作家、評論家に転じて、今では小林秀雄賞の選考委員を務める。
明治維新からの歪みをやんわりと指摘しつつ、現在日本にある「漠然としてある気の重さ」の原因は、産業革命に端を発する経済発展だとし、「産業革命前に戻せばいい」が、それが無茶なら1960年代前半に時計を戻し、「超高層ビルを壊せ」と主張している。それは、単に歴史を戻すのではなく、およそ半世紀の技術と知識の集積の上にこそ出来うる選択だという。「成長の限界」を日本人は認めたくないのではなく、誰もが認めているのにそれを言えないのが、「気の重さ」の原因なのである。世界一の裕福な国が、世界一の幸福な国になれなかった。この現実を認めて、冷静に「行く道」を定めるしかないだろうと。日本の国家とか地方行政というものは、それを支える官僚たちの「共和制」によって成り立っていて、しかも悲しいかな「ご主人さま」(国民)不在の「共和制」だとも指摘している。民主主義がまだ足りずに国民がほんとうの「ご主人さま」になっていないのだ。現在の、中央官僚たちのやりたい放題を見れば、納得してしまう。しかし、最後にこう著者は結ぶ。この本が「長くて膨大にして、ややこしくかつ広範」になったのは、この国の「選択に関する豊かな可能性を有している日本という国のあり方」にあると。日本はまだ棄てたものではない。