水団

newmoonakiko2008-08-16

「平和写真展」(8月15日を考える会主催)で、水団(スイトン)を食べる。この時期、母や夫が生きていた時の特別食だ。戦争を思い起こして、食べたくもないのか、と思いきや、彼らは、楽しそうに食す。現在の豊かさをしみじみと味わっていたのかもしれない。子どもにとっても、たっぷりの野菜と少しの鶏肉、小麦粉のかたまりの不思議な歯ごたえはイヤではなかった。

今日食べた水団もいかにも健康食で、「おいしい」という評判だったという。飽食の時代の皮肉だ。

ただ、小田原生まれの宇佐美ミサ子先生(近世史・法政大学教授)が話された「水団食体験記」には胸をつかれた。

まず、朝5時に起きて、10分ほど歩いて海岸に行き、海水を汲んだこと。その海水の中に大根と練った小麦粉やふすまをちぎっていれる。時には醤油、味噌仕立てのこともあったというが、 その水団よりも打ち寄せる波をバケツで掬いあげる少女の姿を想像することで、戦時中の暮らしをまざまざ思い描くことができる。

戦時中から戦後にかけて調理に用いた野菜は、よもぎ・よめな・のびる・いたどり・せり・たんぽぽ・いぬだて・むくげの木の実と葉・ずいき・サトイモ・さつまいものくきなど。
たんぱく源は、いなご・蜂の子・たにし・赤蛙。カルシュウム源には、いわし、あじの骨をすり鉢ですって粉にしたものだったという。

米も野菜も魚も配給で農家や漁師であっても自由にはならなかった時代。が、小田原に山や農地や海があったから、なんとか生き延びることができたということなのだろう。営々と人間を養い育ててくれる自然に感謝しなくては。


怒る人そのさみしさや大文字
遠来の客にみあげの遠花火

箱根強羅の大文字焼きか、遠くに花火の音がする。