弁当の日

newmoonakiko2009-01-10

自給率をあげるとか、食育とか、難しく考えないで、自分の食べるもんは、自分で作ろう。そうしたら、いつもご飯を作ってくれる人や食材を作ってくれる人、いのちをくれた大根や豚さんにも感謝できる。食の向こう側にあるものへの関心も生まれ、農業や世の中のことまで変えられる機会になる。この取り組みは、四国の小学校校長竹下和男先生が、小学5,6年生のこどもに月1回親の手伝いなしに自分でお弁当を作らすことから始まった。たった月1回の弁当の日で子どもが変わる、このことに感銘をうけ弁当の日を広めることに情熱をかける、西日本新聞社編集委員である佐藤弘さんら九州弁当の日軍団。助産師の内田美智子さん、九州大学佐藤剛史さんらが東京に殴りこみをかけるという志向である。確かに食に関してのグルメはいるが、食の現場にはからきし疎いのが東京人である。天気は西から変わるが、陽は東から昇ると佐藤さんがうまいことを言っていたが、確かに東京の意識が変われば、日本が変われるのだろう。給食があるのになんで子どもに弁当をつくらせなくてはなんないの?というのが、都会の親の神経だろう。

関東では、宇都宮市が全小中学校でこの「弁当の日」を実施し始めた。宇都宮市では第3日曜日が「家庭の日」「地産地消の日」なのだそうだ。家族で
地域の食材を活用したお弁当の献立を考え、第3月曜日を「お弁当の日」としている。海のない宇都宮市よりも、小田原のほうが、ポイントは高いかも。

ところで、佐藤さんから進呈された「宇根豊聞き書き 農は天地有情」を読んでいたら、あらら、小田原のことが書かれている。宇根さんの友人である小田原市の百姓が、水田の真ん中に21メートル幅の道路が計画されて、彼は「田んぼを守ろう!」と反対運動に立ち上がったが、まわりの誰も賛同しない。そのわけは、「お米は余っているのだし、田んぼなんていらない」とう意見が大方だったのだという。もうお手上げという時に水路のいたメダカに気がつき、「絶滅寸前のメダカを救おう!」というスローガンに変えた。その途端、流れがかわり、メダカのために田んぼを守ろうという運動が盛り上がったと書かれている。田んぼは米のためにあるのではなくメダカのためにある?小田原のお米の名はメダカ米というもの複雑だが、ともかく、こうして小田原の田んぼと環境は守られてきた。宇根豊さんは、時折り、小田原にいらしていると聞く。

写真は、九州弁当の日軍団から参加者全員へのプレゼント。長崎市の吉田俊道さんが、荒地で育てた人参。