太宰治文学サロン

newmoonakiko2009-03-21

今日は文句なしのお墓参り日和。少し早起きして高尾まで行ってきた。「まだ、咲かないわよ。待っててね」といっているような桜を道行く人は、見上げている。あと、1週間たてば、桜の方でも待ちきれないだろう。満開、満開。目に浮かぶようだ。ああ、早く咲かないかなぁ。

その帰りに三鷹駅で降りて、太宰治文学サロンを覗いてきた。太宰は、1939年から亡くなる1948年の9年間を三鷹で過ごした。太宰の実質的な創作活動は終戦をはさむこの9年間だけである。山崎富栄との心中事件があまりにも衝撃的だったために、あるいは反道徳的という社会通念からか、三鷹市の市民は太宰を公に認めることはなかった。これは、自殺した北村透谷を認めてこなかった小田原市に似ている。

しかし、昨年、太宰がよく通ったという「伊勢元酒店」の跡地に太宰治文学サロンが市と市民との協働で開設された。20坪あるかないかの小さなサロンだが、それでも「太宰が生きたまち・三鷹」というコンセプトが息づいている。専門家のアドバイスはあるだろうが、ガイドはボランティアで三鷹のまちをよく知る人というところがいい。文学もその土地に生きた人間の営みから生まれてくるものだ。文学館だけに閉じ込めておくことはない。

太宰治松本清張大岡昇平中島敦・埴生雄高は、同じ明治42年生まれ。そろって、今年生誕100年を迎える。1909年生まれの作家たちという企画展を行うのは、北九州市にある松本清張記念館だ。機会があれば、行ってみたい。
http://www.kid.ne.jp/seicho/html/index.html