かわいそうな鉛筆

昨日の教室に来たH君。席につくなり、鉛筆をかじりだした。おいおい、鉛筆は書くものだよ。食べるもんじゃない。そのうち、今度は、鉛筆をぼきぼき折り始めた。適度にかじられているせいか、見事に丸裸にされて、黒い芯があらわになった。かわいそうに。

たまりかねた私は、「なんか、いやなことでもあったの」と声をかける。H君、応えず。ボキボキボキッ。半年かけて、ようやく5分から10分、椅子に座れるようになった。成長したなぁ、と思っている矢先のただならぬ出来事。

いやなことがあったんだろうな。むしゃくしゃしてるんだろうな。

その気持ちはわかる。

・・・・鉛筆が、こなごなになったところで、ことの顛末を話し始めた。いじめっこになにか言われたらしい。鉛筆をボキボキ折るほど、こんな小さな子が悔しい思いをするんだなということにいつもある種の感動を覚える。

さぁ、君は食べ物で何が好きなの?

肉とジュース。

ふ〜ん、君は、お肉と甘いジュースでできてるんだね。

H君が、きょとんとした。

30年、子どもとつきあっていると、なにがどうしたという理屈の世界では問題の解決が図れないということがわかった。もつと根本的な人間のありようにかえらないと、持続可能な社会などできるわけがない。教育も同じ。椅子に座れない、暗算ができない、漢字が書けない、そういう子どもたちが、年々増えている事実を文部省はどう考えているのか?

韓国では、いわゆるジャンクフードのテレビコマーシャルを禁止し、伝統食を復活し、有機農業を国策とし始めた。子どもの健康を守りたいのか、守りたくないのか、日本という国はわからない。