小田原と食育

そもそも「食育」という言葉は、石塚左玄明治30年、著書「食養生」の中で「体育智育才育は即ち食育なり」と看破したことにある。左玄は、炭水化物、脂肪、蛋白質だけを重視しミネラルの作用を軽視している西洋の栄養学に対して疑問をなげかけた。食品に含まれるミネラルのナトリウムとカリウムのバランスが大事なのだと主張。白米飯やパンや肉が多く野菜の少ない食事は心身の健康を害すると唱え、ことに成長期の子供にはカリウムのバランスが多い食事、玄米菜食を薦めている。

この左玄の食育に共感したのは、ジャーナリストの村井弦斎明治36年に著した『食道楽』の中で「小児には紱育よりも、智育よりも、躰育よりも、食育が先き。躰育、紱育の根元も食育にある」と書いている。この村井は小田原南町に住んでいたという。今日の小田原議会で安野裕子議員が「食育」についての一般質問を行った。最後に小田原に縁のある村井の言葉で結んでいたが、なかなか聞き応えがあるものだった。

ところで食育という言葉を政治家が言ったのは、小泉純一郎だ。平成14年自民党政務調査会に「食育調査会」が設置された。その目的は、産地偽装など食の安全を揺るがす事件が多発したことから、食育で消費者の不安や不信感を取り除くことだったと言われている。 翌15年小泉純一郎総理が施政方針演説で「食育」を取り上げ、一躍「食育」ブームとなった。しかし、食育コンクールなど私も取材したが、左玄の主張とはかけはなれた食育だと思ったものが多かった。

安野議員は、日本の財産である石塚左玄村井弦斎の「食育」の原点を語るだけではなく、学級崩壊した教室の給食現場を見るまでして、その必要性を縷々述べ、非常に説得力があった。せめて日本最低レベルの週2回の米飯給食を増やすことができないか、県の問題とかいわずに市長はじめ関係者が動いて欲しいものだ。小田原らしい食育なら、七分米魚菜食かも。