母の弁当がコンビニ弁当に負けた日

総務省が、2012年度の1世帯あたりの弁当類(弁当、すし、おにぎりなど)の購入金額は前年比1・5パーセント増で、29,228円。調査をはじめた1980年以降最高。前年に続き米とパンを上回った。米の購入金額は、28,730円、パン28,281円という。米の購入数量は78,8キロ 1963年調査開始以降で初めて80キロを割り込む。減少は4年連続。1990年比で4割減。購入金額は、半分以下。弁当は、1.8倍。(家計調査による)

1980年というのは、週刊朝日に「女の自立」という文字がはじめて躍った年で、その6年後には男女雇用機会均等法が施行された。男女の、ことに女性の労働条件が急激に変化したわけだ。そして、この30年にして国民おしなべて母の弁当よりも外食の弁当を食べるということになった。

つまり家族よりも外食産業にいのちの食を託すことが始まっているのだ。家で料理をするよりもお弁当を買ったほうが安いという、従来には考えられないことがおこってきた。これは夫の所得の減少を妻がパートで補う、実に巧妙な非正規雇用の仕組みが整備されたことも大きい。妻の働きは、食費に消える。外食産業は、女性や若者の安価な労働力で支えられている。主婦が弁当を買うことに罪悪感がなくなったのは、「女の自立」も無縁ではないだろうが、華やかな男女雇用機会均等法の貧しい結末のひとつかもしれない。

ということは、女性史の専門家におまかせするとして、私が問題にしたいのは、なんで私のつくるお弁当よりも買ったお弁当の方を好むのかという点である。すき家の牛丼などを食べたことのないというと、「そんなんで現代の食について論じる資格はない」とか息子にいわれるありさまだが、白米を腹いっぱい食べつくして玄米のおいしさに開眼するように安い・早い・うまいの牛丼を食べつくして母の弁当のおいしさに行きつくと思いたい。そこに至るまで元気で暮らして欲しいと切に願うわけで、遅まきながら弁当のつくり方を伝授しておかないと死んでも死に切れない。本物の食材を使ったお弁当はそれなりの価格になるからね。