お母さん革命

「らいちょうの家」館長米田佐代子さんの新書。2011年は『青鞜』発刊から100年、そして平塚らいてうの生誕125年。同時に母性100年に1度の危機だった。改めてらいちょうの主張、「母性の社会化」という視点を現代の日本が見失ってきたかを思い知らされている。自然とつながる母性というものを男女同権という名の下に現代は切り捨てている。どう取り戻すか?これが没後40年後の課題だと思うのだが、らいちょうさん、どうだろうか?。

女性解放の旗手でありながら、与謝野晶子との母性保護論争では優生思想の影響や男女性別役割を容認しているとの批判もあるが、実はこの論争が後々まで日本の女性解放運動に陰を落としているのは間違いない。そういう意味でも、米田さんのらいちょうの自然観についての考察は鋭い。自然と母性がつながっているという思想は、たとえば「オニババ化する女性たち」という女性の身体観に関する論を展開し、現代社会が摂取してきた母性の弱体化を訴えた三砂ちづるさんなどは、あっけなくジェンダー推進派に否定された。たとえば、放射能の影響をまず母性がうけるということをよくよく考えなくてはいけない。当然ながら、福島のみならず多くの母親たちが、脱原発に立ち上がっている。子育てをすでに終えた私でさえ、あの時ああしなかったら子どもは別の道にいったのではないかと心痛めるのである。それが、もし子どもの未来の、しかもいのちの問題であったら、どうして心配しないでいられようか。「チェルノブイリへのかけはし」代表の野呂美加さんは、子どもをしっかりと守ると同時に、脱原発を目指して政治に自ら関わっていこうと呼びかけている。どんなに厚い壁でも、打ち破るのは、母の愛だと叫んでいるが、これは実際にチェルノブイリでの母親たちを見てきた実感からくるものだと思う。政府の放射能汚染への対応を厳しく批判した児玉龍彦教授も、今こそ「お母さん革命」に期待するといっている。ここまで、女性の解放に心を尽くしてきた女性運動家に続くのは、ひとりのリーダーではなく無数の当たり前の母親たちだ。高学歴で社会的にも訓練された女性たちが真の母性に目覚めると同時に政治の場でも発言していくことを彼女らの母の世代として切に願う。

写真は、晩年のらいちょうさん。その存在に励まされる。